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仙台地方裁判所 昭和43年(わ)193号 判決

主文

被告人を禁錮六月に処する。

但し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二六年一月九日宮城県塩釜市巡査に任ぜられ、警ら交通課、築港巡査派出所に勤務後、同二九年七月一日宮城県巡査に任命されて、同日から同四一年三月二三日まで石巻警察署管内に勤務し、同月二四日宮城県巡査部長に任命されるとともに、仙台北警察署勤務を命ぜられ、同年四月一日仙台中央警察署に転じ、同署警備課第一係第三主任となり、同年八月一〇日からは同課第三係第二主任として、いわゆる右翼運動にともなつて発生する犯罪ならびに外国人に関する取締りの職務に従事していたが、同年九月一〇日ころ、被告人が山口照子殺人事件に関する聞込みを得たことから、同署署長特命により、両事件の容疑者として本館勝四郎に対する容疑事実を捜査中、同年一〇月三日ころより同人の動静等の捜査に関し、同人の実兄本館弘(当時二六年)と接触するうち、同月一四日午後五時三〇分ころ右勝四郎の筆跡を入手するため、右本館弘とともに仙台市定禅寺通櫓丁二一番地旅館「やぐら荘」(支配人佐藤銀一)二階「松風」の間におもむき、同所で右筆跡を入手した際、右本館弘が共産党と関係があるらしいとの話を聞いていたところから今後とも右殺人事件の捜査に協力を得ていくためには、同人と共産党との関係の有無を確かめる必要があると思いたち、同日午後六時三〇分ころから、同人が関係していない旨否定するにもかかわらず、くりかえし執拗に共産党との関係の有無を問いただした。

そのため同日午後六時四〇分ころ、同人が被告人の右のような追及に憤然とし、右「松風」の間から退去しようとして立ち上り、同室東側廊下窓附近まで走り出すや、被告人はこれを阻止しようと企て、同所において右本館弘の背後から、左手で同人の左上腕部を、右手で同人の右上腰部付近をそれぞれ強く掴んで同室内に引き入れる暴行を加えて同人が退去するのを阻止し、さらに同日午後八時三〇分ころ、右本館弘が同室から立去ろうとして同室北東のドア付近まで至るや同人を、たまたま同所に来合せた同旅館の宿泊客のひとりに看視するよう依頼して、右宿泊客をして右本館弘を強いて同室南側押入れ前付近まで再度入室させて同日午後一〇時三〇分ころまで同所に止まらせ、その間同人に対し、「弟のことで協力して来たんだから話せないことはないんじやないか、しやべつてしまえ」「警察の仕事のためには命をかけている、警察の仕事のためにはいつ死んでも悔いはないんだ」「勝四郎がああいう連中とつき合つていたんじやうまくないから、塩釜に知つている人もいるし、勝四郎の職まで考えていたんだ」等と申向け、同人と共産党との関係の有無に関して執拗に話しかけ、よつて同人を同所から退去することができないようにし、もつて職権を濫用して不法に監禁するとともに、右暴行により、同人に対し、左上腕部腫脹の傷害を与えたものである。

(証拠)

判示事実中

(一)  被告人の経歴身分ならびに仙台中央警察署における本件当時までの職務内容については……によりこれを認める。

(二)  被告人が署長特命により、山口照子殺人事件の捜査に従事するようになつて本館弘と接触し、昭和四一年一〇月一四日午後五時三〇分ころ、旅館「やぐら荘」「松風」の間におもむき、同所で本館勝四郎の筆跡を入手した事実は、……によりこれを認める。

(三)  被告人が、本館弘が共産党と関係があるらしいとの話をきき、同人から殺人事件の捜査協力を得ていくためには、同人と共産党との関係の有無を確かめる必要があると思い、同日午後六時三〇分ころから、右の点をくりかえし執拗に問いただした事実は、被告人の当公判廷における供述、被告人の昭和四二年一一月二九日付検察官に対する供述調書、被告人に対する裁判官の取調調書、証人本館弘、同小松忠義の当公判廷における各供述、第五回公判調書中証人本館弘の供述記載〔特に第五回公判調書中の、『被告人の岩崎は、「実は単刀直入に言うけれども、あなた共産党だつてな、おとうとのことを調べているうち調べてほんとうにびつくりした、おれはあなたのおとうとのことを思つて一生けんめいやつてきたのに、なんであなたはおれにそのことを隠していたんだ」というふうに言われました。』それに対し、『実際びつくりしました。なんですかと言つたんです。そしたら「いやあなた共産党にはいつているんだな」というように念を押してきましたから、いや、そんなものにはいつていないというと「ほんとうか」というんです。ほんとうだというと「じやこういう人を知つているか」といつて何人かの県庁の私の知つている人の名前をあげたわけです。知つていると言いました。そうしたら「この人たちの名前を知つているのは、おまえが共産党にはいつているからだ」というふうに言つたんです。私は歌声なんかやつておりましたし、歌声なんかで知つていると言いました。そうしたら「うそを言うな」というんです。「全部調べている」というように岩崎が言いました。「この人たちを知つているのは、おまえが共産党にはいつているからだ」とそういうふうに言つたんです。』旨の供述記載〕によつてこれを認める。

(四)  同日午後六時四〇分ころ、本館弘が憤然として、「松風」の間から退去しようとして立ち上り、同室東側廊下窓付近まで走り出た事実は、被告人の当公判廷における供述、被告人に対する裁判官の取調調書、被告人の昭和四二年一一月二九日検察官に対する供述調書、第五回公判調書中証人本館弘の供述記載〔特に第五回公判調書中、証人本館弘の「そのときは私も帰ろうとしましてパッと部屋を飛び出そうと、私はこういうことを話しに来たんでないから帰りますといつて実際に立ち上つて飛び出そうとしたわけです。」「手さげはすわつた右側に置きましたから、すぐそれを右手に持つて」廊下には「結果的には出たんです」旨の供述記載、被告人の『本館は突然大きな声で「そんなことは知らない」と怒鳴るような返事をしてきました。……本館は、……突然予想外に興奮激高し「こん畜生」「何を言うか」と怒鳴りながら立ち上がり小供が地だんだを踏むような格好で四、五回足を上下にバタバタさせて「俺をスパイになれと言うのか」と言つて足音も荒々しく松の間廊下東側窓あたりまで走り出ました。』(被告人の上申書(一))「そんなこと知らないこのちきしようとかいつて立ち上がつて、両足をばたつかして、東側窓の方に行つたんです」「距離的にもあまり長い所でございませんでしたし、そういうふうにあつという間に廊下のカーテンの方へ行つたわけです。」旨の当公判廷における供述〕によつてこれを認める。

(五)  被告人が本館弘の退去を阻止しようと企て、判示暴行を加えた事実は前記(四)記載の各証拠のほか、証人佐藤銀一の当公判廷における供述(第一、二回)特に被告人の当公判廷における「私は…予想外に興奮した本館が、窓から飛び降りて怪我をしては大変だし、折からやぐら荘前を通過中の前記デモ隊に告げ口でもされ、そのためデモ隊が旅館になだれ込むような失態を招きたくなかつたので、驚きあわててその後を追い、「そんなに興奮しないで落着いてくれ、スパイとか言つているのではない」となだめながら本館の左うしろのほうからその右肩に私の右手をかけ、私の左手で本館の左の二の腕あたりを軽く押えて引きとめました。」旨の供述(被告人の上申書(一))、裁判官の取調調書中「……ちようど本館さんが窓へ行つたときですね、デモが行進始まつたんです。それで労働歌とかですね、シュプレヒコールとかそういうのは相当大きくきこえてきたわけなんです、それで、それと一緒になつたような状況でしたので、これはここからとび降りられては大変だと、それからこのスパイなんか私のいつたことをきき違えてまあ曲解といいますかね、これしてるんだろうと、これをこのままで帰したんではそのデモの人方にはいつてまあスパイとか、そういうことをいわれたんではですね、おそらくデモの人々がですね、この旅館になだれ込むんじやないかと、そうなつたらこれは収拾のつかなくなるということがねなんか瞬間的に私頭にきたんです、……そのときここの場はおさえなくてはならないという気持でいつぱいでした」旨の記載、検察官に対する昭和四二年一一月二九日付供述調書中「その理由もデモ隊の気勢に刺激されたとも判断し、しかもその異常な行動からしてこのまま返したのではどのような身に危険のかかるような事をするかもしれないし、気勢を上げているデモ隊の中に本館が最後に口にしたスパイだとかバクロだとか言つて告げ口されたらデモ隊がこの旅館になだれ込まないとも限らないと思つたので私は本館を帰させまいとして廊下の処まで追つて行き押えました」旨の記載、第五回公判調書中証人本館弘の「そのときは敷居の所で岩崎が帰さないというふうにして組みついてきたんです。……待て、帰さないと言つて、うしろから組みついてきたんです。……私の左手の方を腕のところと、あと、うしろから右手だと思うんですがとにかく私を押えつけるようにして右の方はどつち押えたか脇の方のあたり押えつけられたと思うんですが……斜めうしろからです。……そしてとにかく離せ離せということで、私は帰ろうとしましたし……。私を部屋にひつぱり込もうとするわけです。とにかくおれは時間だから帰るから離せ離せということでそこでもみあつたわけです。」旨の供述記載、証人佐藤銀一(第一回)の「なんかこう岩崎さんがうしろ側に立つてあつたように記憶しています、見た瞬間はですね岩崎さんがだきかかえるような形をしてきました。」旨の供述〕によつてこれを認める。

(六)  同日午後八時三〇分ころ、同旅館の宿泊客に依頼して、本館弘を再度「松風」の間に強いて入室させた事実は、前記(四)記載の証拠のほか、証人本館弘の当公判廷における供述、第六回ないし第八回公判調書中証人本館弘の各供述記載〔右各証拠中被告人の供述が措信し得ないことについては、後記(弁護人の主張に対する判断)(二)1の被告人の供述の信憑力に関し判断するとおりである。〕当裁判所の検証調書(一)検察官作成の実況見分調書によつてこれを認める。

(七)  さらに同時刻から同日午後一〇時三〇分までの間、本館弘に対し、共産党との関係の有無に関して執拗に話しかけ同人を「松風」の間から退去することができないようにして不法に監禁した事実は、前記(五)記載の各証拠〔特に被告人の当公判廷におけるその聞いた真意といいますか気持というものはまあ上申書で詳しく申上げておりますけれどもそのことが理解してもらうために一生懸命努力したわけですが本館はなかなかまあ理解もしなかつたし……それでまあ私の方からまあ理解してもらおうというふうにまあ引きとめてしまつたというような……ことで検察庁や裁判所で申上げましたが……」旨の供述、被告人に対する裁判官の取調調書一三枚目以降および検察官に対する昭和四二年一一月二九日付供述調書中、八(九)以降一五までの各記載〕によつてこれを認める。

ところで、右の点に関し、被告人と本館弘との間でなされた言動について、両者の供述には著るしい差異があり、第五回公判調書中証人本館弘の供述記載によれば、同人は被告人から次のように言われた旨述べている。すなわち、「とにかくお前は隠したつてだめなんだからみんなしやべつてしまえというようなことでしやべらなかつたらお前を殺すということを言つてきたんです、おれ今晩お前と心中するつもりで来たんだと、でお前をただ殺したんでは殺人罪になるから、お前を殺してからおれも適当な遺言状を書いて死ぬんだそうすればだれが見たつて無理心中なんだお前とおれは今晩心中するつもりで来たんだからもう絶対口を割つてみせると、人間死ぬ気になればなんでもできる観念してしやべつてしまえというふうなことを言い出して来たんです……繰り返しです……これはほんとうにもしかしたら殺されるかもしれないとだんだんおつかなくなつて来ました。…もうもしかしたらほんとうにやられるかもしれないからそれよりはなんとかして逃げなくちやならないというふうに考えました……とにかく私はもう素直に知らないから早く返せというふうに……ここを出なきやならないと思いましたから返せというふうに言つたんです……(弟勝四郎の職を)しやべれば世話することはその脅迫される中でとにかくおれはお前の弟のことを親身になつて考えてとにかくお前の弟に職も考えたんだ塩釜に知つている人もいるし、ああいう連中と付き合つていたんじやうまくないからと思つておれは勝四郎の職まで考えていたんだということは言われました。……(そんなことを言われたのは…旅館の泊り客が)出て行つてからです。」というのである。これに対して被告人は、当公判廷において、本館弘に対しては……勝四郎の捜査協力を得る上で雑談として聞いたものであるから、被告人の真意を理解して貰おうと考えて本館弘との間で繰り返し話をしたが、同人が供述しているような言葉はいつさい話していない旨述べ、ただ被告人自身を理解して貰うため、自己の身上話や本館勝四郎の母親が心配しているので勝四郎に親孝行させてやりたいこと、共産党との関係の有無を尋ねた真意は、本館弘から今後の捜査協力を得るためおよび同人との交際上必要だからであること、本館弘が「被告人とは立場が違う、警察は人民の敵である」旨述べたのに対して「ああそうか、革命のために生命をかけると言うのかねあんたがそうなら俺だつて警察の仕事に生命をかけているんだ警察官として人の生命身体を護るという情熱はあんたに負けないくらいもつている。俺は警察の仕事で何時死んでも悔はないよ。」と言うようなこと(被告人の上申書(一))をそれぞれ話したものであり、またその間本館弘は「松風」の間から退去しようと思えば何時でも退去できたものである旨供述している。

しかして、被告人が本館弘に対して、「俺は警察の仕事で何時死んでも悔いはない。」旨の言葉を発していることおよび勝四郎の身上につき話がでたことはいずれも前記のとおり被告人の認めているところであり、さらに第五回公判調書中の証人本館弘の、「……一〇月四日に……(寿司屋で勝四郎を入れて三人でなんか話合になつたわけですか)はい(被告人は……勝四郎に対しては……)今やつている仕事がうまくなかつたら、俺が塩釜に知つている大工がいるからそこに斡旋して仕事を斡旋してやつてもいいと……いわれました」との供述記載のほか、前掲各証拠により認めることができる本件当日までの被告人の本館勝四郎に対する捜査、特に本館弘との接触状況よりすると、本館弘の前記供述は、やや誇張して述べていると窺わせる一面が存することは否定し得ないものの、同人が被告人との間で全く存在しなかつた言葉を捏造して述べているとはいえず、この点に関する本館弘の供述するような言葉はすべて話していない旨の供述は、これを信用することはできないのである。

そして同日午後六時四〇分ころおよび午後八時三〇分ころにいずれも本館弘が「松風」の間から退去しようとした際、被告人および被告人の依頼を受けた宿泊客によつて、それを阻止されたことは判示認定のとおりであつて、その後さらに午後一〇時三〇分ころまでの間約二時間にわたり、前示のように種々被告人から申し向けられたこと、その間被告人の当公判廷における供述および第五回公判調書中証人本館弘の供述記載によれば、本館弘は「松風」の間西側窓付近に立つたままでいたことが認められ、これら事実を綜合考慮すると、被告人の本館弘に対する言動は、被告人の真意を理解して貰いたいため話したものである旨被告人は主張するけれども、右状況下においては、客観的には、本館弘から、同人と共産党との関係の有無をきき出さんがための言動と認められるのであつて、また前記の諸事情のもとにおいては、客観的には、本館弘が「松風」の間から、その意思により、自由に退去し得る状況にあつたとは認められない。

(八)  職権濫用の事実は、……によつてこれを認める。

(九)  判示暴行により、左上腕部腫脹の傷害を与えた事実は、……によつてこれを認める。

(公訴の維持にあたる弁護士主張の暴行、傷害の公訴事実に対して判示暴行および傷害のみを認定した理由)

公訴の維持にあたる弁護士主張の本件公訴事実は、「被告人は……背後から右本館の背広やワイシャツを引つぱつて押えつけ、更に逃れようとする同人の両上腕部をつかみ、あるいは両手を脇の下に入れて押えるなどして右松風の間に連れ戻した上、足払いをかけてその場に転倒させ、ついで畳の上に押えつけるなどの暴行を加え、よつて……不法に監禁するとともに右暴行により同人に対し全治一週間を要する右顔面打撲症、脳震盪、舌挫創、両側上腕部打撲症の傷害を与えたものである。」というのであり、右にそう内容の証拠として……等が存在する。しかしながら、被告人から暴行を受けたという直接証拠である本館弘の供述は、後記(弁護人の主張に対する判断)において説示のとおり、判示認定の暴行以外の点に関してその信憑性に疑いが存し、右の点に関するその他の前記各証拠は、暴行の事実に関しては伝聞証拠であつて、当公判廷において取調済みの他の全証拠によつても、判示認定の暴行以外の暴行の事実を被告人が犯したものであると認定することはできず、結局その点についての証明はないことになるので、前記各暴行およびそれに基くとされる傷害の結果について、これを被告人の責に帰することはできない。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(一)証人本館弘、同平塚巌の各供述および右各供述に符合するかのような他の証人の各供述および参考人の供述調書、陳述書等の各記載は、いずれも信憑力がない。(二)これに対し、被告人および証人佐藤銀一の各供述ならびに本件当夜前記旅館「やぐら荘」に宿泊した客および同旅館の女中等の各供述はいずれも措信し得る。(三)指定弁護士の「訴因の追加申立書」記載の公訴事実は訴因の特定を欠き、無効なもので、公訴棄却せられるべきである。(四)被告人が本館弘とともに前記旅館におもむいたのは職務行為とは言えないから、本件は「職務を行うにあたり」発生したものではない旨それぞれ主張する。

よつて、以下右の点につき順次判断する。

(一)1  証人本館弘の供述の信憑力について、

証人本館弘の第五回ないし第八回公判調書中の各供述記載および当公判廷における供述を、同人に対する裁判官の尋問調書、同人の検察官に対する供述調書三通、および当公判廷において取調済みの同人の陳述記載の各書証と対比検討すると、なるほど弁護人の指摘のとおり被告人から受けたという暴行の経緯、経路、額および後頭部をテーブルに打ちつけた状況、前記「松風」の間室内の設備、什器、備品等の各点につき少なからず矛盾のあることが認められる。そして同証人の供述にはある程度誇張がみられ、さらに日を重ねるにしたがつて無意識的にもせよそれが真実の体験であるように思い込んだ供述をしているとみられる点が認められるのであるが、それらは被告人を告訴した同証人の立場、および本件審理に至つた経緯等よりみても、いずれも経験則上あり得ることであつて、その点についての信憑性は排斥されるべきは当然であるが、そうであるからといつて、それ以外の供述部分についての信憑性までも、一概にこれを否定すべきではなく、他のあらゆる証拠と対比勘案して判断すべきことは言うまでもないところである。

そこで、同証人の供述を他の証拠と対比してみると、同人が本件当日被告人とともに前記旅館「やぐら荘」「松風」の間におもむき、同所で被告人に対し、本館勝四郎の筆跡を交付した事実についての供述は、同旅館におもむくに至つた事情および同旅館玄関付近での被告人と佐藤銀一との折衝状況等を除けば、同人等の各供述とも一致しており、十分これを信用し得るものと言わなければならない。さらに同日午後六時三〇分ころから、被告人より共産党との関係の有無を執拗に問いただされた事実についての供述は、前記(証拠)欄(三)記載のとおりであり、被告人との問答内容被告人の動作等に関して、当公判廷における被告人の供述との間には差異がみられるところである。しかしながら、この点に関して被告人の主張は、前記(証拠)欄(四)記載のとおり、『「地区委員会事務所に出入りしたり、共産党の活動をしていると聞いているんだけれども……」と言つたら、本館は突然大きな声で「そんなことは知らない」と怒鳴るような返事をしてきました。そして私と本館のこの話し合いの間にデモ隊の労働歌が聞こえていたが……本館はデモ隊の喚声や歌声に刺激されたためと思いますが、突然予想外に興奮激高し「こん畜生」「何を言うか」と怒鳴りながら小供が地だんだを踏むような格好で四、五回足をバタバタさせて「俺をスパイになれというのか」と言つて足音も荒々しく松の間廊下東側窓あたりまで走り出ました。』(被告人の上申書(一))というのであり、同人等の間でなされた問答の文言についてはさておき、その内容として、くりがえし共産党との関係の有無を本館弘に対して問いただしたことは、被告人の供述からも優に認めることができ、またその直後の本館弘の行動よりみると、同人が被告人の発言に相当程度憤然としたことも明らかで、したがってこれらの点に関する証人本館弘の供述は信憑性がないとは言えない。

次に被告人から受けたという暴行について、同証人は多多その態様をあげ供述している。そのうち同人が前記「松風」の間東側廊下窓付近まで走り出たことは、被告人の供述によつても認められるところであり、同所において、被告人から判示のごとく掴まれ、右「松風」の間室内に引き込まれた事実についての同証人の供述は(証拠)欄(四)記載のとおりである。ところでこの点に関し、被告人は当公判廷において、同所付近で同証人の左うしろのほうから、同人の右肩に右手をかけ、左手で同人の左の二の腕あたりを軽く押えて引きとめた旨供述し、その引きとめた際の力は、引張るという方向にはいつていたが、落着いてくれという軽い気持で押えていたので、力などははいつていないと思うし、その時間は極めて短かい瞬間的な二、三秒あるいは四、五秒くらいの時間である旨述べている。そして被告人が本館弘に対して右の行為をするに至つた理由として、予想外に興奮した同人が窓から飛び降りて怪我をしては大変だし、デモ隊に告げ口でもされ、そのためデモ隊が旅館になだれ込むような失態を招きたくなかつたこと、さらに同人が外に出るのを引きとめて、解つて貰おうとの考えからであるとの事由を挙げている。しかしながら、同人が「松風」の間東側廊下窓付近に行つた状況に関する被告人の当公判廷における供述は、前記(証拠)欄(四)記載のとおりであるところ、さらに同供述によれば東側廊下寒のカーテンは閉つていたが、本館弘は同所において、左の腕でカーテンの左側端の方をつかんで、右手をカーテンの内側から外側に押し込んだように出したというのであつて、同人の右のような状態から、直に同人が窓から飛び降りると判断することは、当時の同人の心理状況を考慮しても不自然であるばかりでなく、またかりに当時の状況が被告人の判断するようなものであつたならば、瞬間的に、二、三秒から四、五秒の間本館弘の身体に被告人主張のように触れたのみでその状態がおさまつたとするのは、なおのこと不合理であり、したがってこの点に関する被告人の供述は措信し得ないところである。

さらに、その直後の状況は、被告人および証人佐藤銀一(第一、二回)の当公判廷における各供述によると、本件当時「やぐら荘」の支配人をしていた同証人は、本件当日午後七時前後ころは階下にいたが、二階のほうで「どすん」という物音がしたのを聞き、「松風」の間におもむいたところ、本館弘が左右両手でカーテンを掴んでおり、同人の後から被告人が抱きかかえるような格好をしているのを見て、とつさにカーテンが切れると思い、本館弘の手をカーテンからはずさせようと同人の手に手をかけたがなおもカーテンから手を離さないため、同人の両肩に手をあてがい力をこめて後方へ押したところ、同人と被告人が「松風」の間室内に転倒し、その際カーテンの釣金具の一部がカーテンレールからはずれ、カーテンレールを固定してあつた木ねじが一本抜けて、レール自体も前方に曲つたというのであるが、旅館の支配人が、右のような状況下で直に右のような行動をとること自体はなはだ奇異であつて、同証人の供述から窺われるように、同証人が「松風」の間におもむいた際には、被告人と本館弘との間に相当な興奮状態があつたもの、すなわち佐藤銀一が「松風」の間におもむく以前に、被告人と本館弘との間で、同人がカーテンに掴まらなければならないような行為が被告人によつてなされたものとみるのが相当である。したがって判示暴行を受けたという証人本館弘の供述部分は、これを信用し得るものというべきである。

次に、証人本館弘の供述中、判示以外の暴行を受けたとの点について検討すると、……を綜合すると、「松風」の間は、畳敷六畳の和室で、東および南側の二面には障子があり、北側に床の間、西側は硝子窓があること、本件当日午後六時四〇分ころから午後一〇時三〇分ころまでの間、同室内テーブル上には、ビール瓶、ビール入りコップ、茶呑み茶わん、急須等が置かれていたほか、同室内畳上には魔法瓶、座椅子等があつたこと、また当日本館弘は眼鏡をかけていたことが、それぞれ認められるところ、証人本館弘の供述のごとき格闘、取組み合い等が被告人との間で行われたとするならば、右「松風」の間の広さからみても、同室内の右物品および眼鏡等の転倒、散乱あるいは破損等の状態を生ずることあるのが通常であるにもかかわらず、同証人によつては、これらの点について被告人から受けたという暴行を合理的に裏付ける供述がなされないばかりか、同室東側障子に掴まろうと思い手を突込んで破いたとの供述のように、他の証拠上措信し得ない供述が含まれていることもあつて、結局判示以外の暴行を被告人から受けたという同証人の供述は、その信用性に疑いがあり、右部分の証拠価値は否定されるべきものと考える。

さらに同日午後一〇時三〇分ころまでの間、被告人から共産党との関係の有無を話すよう執拗に申し向けられ、「松風」の間から退去できないようにされたとの事実に関して、証人本館弘の供述との間に著るしい差異がみられること前記のとおりであるが、同日午後一〇時三〇分ころまで、被告人が被告人に対して繰りかえし話をしていたことは被告人自身認めており、この点について被告人は、本館弘に対して共産党との関係の有無を尋ねた真意を理解して貰いたいため一生懸命だつたが、その間本館弘は帰せというようなことは言つていないし、帰るつもりなら帰ることができる状況であつた旨述べている。しかしながら、第五回公判調書中証人本館弘の供述記載によれば、同人は通常仙台駅発午後五時五五分ころまたは六時四七分ころの列車で自宅の鹿島台まで帰つていたこと、当時同人の妻も看護婦として稼働していたことから、二才と一才になる子供を日中他に預けていたためうち一人を帰宅途中ひきとつていかねばならなかつたことが認められ、これ等の事情よりみると、同人としては被告人の言い分を聞くことより帰宅することに意識が働くことは当然であり、また同日午後八時三〇分ころの状況についての被告人の供述が措信し得ないものであること後記のとおりであつて、これらの事情と前記(証拠)欄(七)記載の各証拠を合せ考えると、同欄説示のとおり証人本館弘の供述にやや誇張がみられることは否定し得ないものの、なお判示認定の限度において右供述は信用し得るものというべきである。

2  証人平塚巌の供述の信憑力について

同人の当公判廷における供述、裁判官の尋問調書、検察官に対する供述調書を比較すると、弁護人指摘のとおり公判廷における供述が著るしく詳細になつていることが認められる。しかしながら、公判廷において証人として出廷した同人に対し、詳細な質問がなされれば、それに応じて供述もまた詳細になることは当然の理であつて、右一事をもつてその供述が信憑性ないものと断じ得ないところであり、かえつて前示供述および各調書の記載によると、同人は本館弘の左上腕部の診断については、終始一貫して同一の供述をしているところよりみれば、右公判廷における供述の信用性を排斥すべき理由はない。

(二)  弁護人は、被告人および証人佐藤銀一の各供述は信憑力ある旨主張するので、判示認定の事実に関して一、二検討する。

1  まず被告人が同日午後六時四〇分ころ本館弘に対して加えた判示暴行に関しての供述が措信し得ないものであることは前記のとおりである。さらに被告人は、当公判廷において、午後八時三〇分ころ、吐気を催し便所に行く際、本館弘に対して、「……とにかくこんなに言つてもわからないなら帰つてくれということを言つて、ドアのところに立つて行つたわけです……(本館君はその部屋の入口の所まであなたを追いかけてきて、その話をやつていたということになるんですかとの質問に対し)はいそうです。……ドアを押しあけて便所に行くために……一、二歩出たとき出合いがしらに(旅館に泊つている男の人)とぶつかりそうになつたのです。そして(もうひとりの男の人が)下からのぼつてきたわけです。……そしているうちに(下からのぼつてきた人が)なんだうるさいんでないか……と言つてドアのところから私を押し戻すような格好で一、二歩部屋の中にはいつてきたわけです。それで私はそれを通りすごすといいますか……私は便所に行つたわけです。」「(男が一人)私の感じでは何やつてんだというふうなことをいいながら、はいつてきたと思うんです、(本館は)もう帰つたんじやないかというつもりで……私も帰ろうというつもりで部屋に戻つたわけです。(トイレから戻つたときに本館は)西南といいますかはめ込み押入れ……あの辺の前におりました(男の人は)南側……のほうにいたわけだつたんです、……入口の方に近いですねごと述べ、二人の男に対しては本館弘をみてて呉れというようなことは言つていないことをあげて、したがって右時刻には、本館弘は自由に退去し得たものである旨主張している。

しかしながら、……によると、旅館「やぐら荘」は、仙台市内にある一般的旅館であり、二階「松風」の間は畳敷六畳の和室で南および東側に廊下があつて、東側廊下の北方が部屋への出入口となつて他と隔離されていること、被告人および証人本館弘の当公判廷における各供述および第五回公判調書中証人本館弘の供述記載によれば、同日午後八時三〇分ころ「松風」の間出入口で会つた二人の男(客)はいずれも全く知らない男であるというのであつて、右のような旅館において、宿泊客が何らの諒解なしに他の客室に入つていくということはまことに不自然であるのみならず、前記被告人の当公判廷における供述によつても本館弘は便所に行く被告人の後から同室出入口付近まで来ていたというのに、被告人が便所から戻るや男客のひとりは室内南側付近まで入つて本館弘と対していたというのであつて、右事実よりみると、第五回公判調書中証人本館弘の供述記載にあるように、被告人が便所に行くに際して、右男客に対し本館弘を看視し同室内にとどめるべく依頼したものとみるのが相当で、加えて被告人は同時刻ころ帰るつもりであつた旨供述しながら、同室に戻るやひき続き同日午後一〇時三〇分ころまでの間約二時間にわたつてとどまつていることよりみても、被告人のこの点に関する供述は措信し得ないところである。

2  さらに証人佐藤銀一の当公判廷における供述の一部が措信し得ないこと前記のとおりである。

3  次に、弁護人は、本件当夜「やぐら荘」に宿泊したという公判準備期日における証人佐藤進一、同菅野明の各供述記載、および同旅館の女中阿部けい子、同千葉スミの各供述は、いずれも措信し得るものであるとして、証人本館弘の供述の信憑性を否定する理由の一つとするとともに、それらは被告人および証人佐藤銀一の各供述と一致し、したがって被告人の供述は信憑性あるものである旨主張する。

公判準備期日における証人佐藤進一尋問調書によると、同人は本件当夜前記「松風」の間に宿泊したものであること、さらに室内の状況については、同人が同室内に案内された際、異常は感じなかつたし、同室東側廊下窓のカーテンは閉つていたが破れて垂れ下つていたということはなかつたと思う、障子は閉めてあつたと思うが、破れはなかつたと思う、翌朝部屋の畳の上に血の跡はなかつたと思う、水のようなもので濡れた箇所はなかつたと思う、ワイシャツのボタンは落ちていませんでした、というのである。

しかし他方同人は、同夜九時はすぎた時刻に同旅館に到着したもので、(しかしながら、その時刻は早くても午後一〇時三〇分すぎころであることは(証拠)欄(七)記載の証拠により明らかである。)前記「松風」の間に案内された時には、すでに布団は敷いてあり、同室に入つてから就寝するまで一〇分から一五分の間という短時間であつたこと、カーテンについての供述も、同室内西側カーテンについてはこれが存在したかどうかさえ不明確であり、同室東側廊下のカーテンはよく見るということはしていない旨述べていること、同じく公判準備期日における証人菅野明尋問調書によると、同人は本件当夜ころ仙台に宿泊したことがあるが、宿泊した旅館は「やぐら荘」であるとのはつきりした記憶はなく、旅館内の出来事については全く覚えがない、当日何時ころに旅館に戻つたかという記憶さえない旨述べていること、さらに証人千葉スミ、同阿部けい子の当公判廷における各供述によると、同証人等は、「やぐら荘」にそれぞれ手伝いおよび女中として働いたことがあつたもので証人千葉スミは、本件当日も手伝つていたが、ほとんど夕方四時ころ、帰宅しており、二、三度遅くなつたことがあるが、それが本件当日か分らない、手伝いに行つていた時、人が格闘したり、助けてくれというようなことは聞いた覚えはない、「やぐら荘」で事件があつたというようなことをテレビか新聞で見たような気がするが、支配人と話し合いしたことがないので聞いていないというのであり、また証人阿部けい子は、本件当日ころ「やぐら荘」で働いていたと思うが、一〇月なかばまで家にいたので一一月は働いてたと思う、お客が騒いで障子を壊したとか、カーテンを壊したとか、そういうことは見たり聞いたりしていない、客が旅館の窓から飛び降りて逃げたというようなことは聞いていない、新聞やテレビで大きく報道されたことは全く知らないというのであつて、これら証人の各供述は本件当日における「やぐら荘」の状況に関しては不明確な、記憶の薄いものであることが認められる。そして証人本館弘の供述の一部に、その信用性が疑われるところがあること前記のとおりであり、また被告人および証人佐藤銀一の各供述にも一部措信し得ないところがあること前示のとおりであつて、これら各証人の供述をもつてしても、なお判示認定に消長をきたすものではない。

(三)1  弁護人の公訴棄却の主張について。

弁護人の主張は要するに、「刑法一九四条は、職権濫用による逮捕又は監禁を規定しているが、職権濫用による暴行を犯し、よつて逮捕又は監禁することを規定しているものではない。従つて職権濫用による暴行を犯し、よつて監禁又は傷害する場合においては、それが単純なる監禁や暴行傷害に該る問題は格別、それ以外にはいずれもこれを処罰する犯罪構成要件を発見し得ないから「訴因の追加申立書」中の公訴事実としては、罪名、罰条に如何ように表示されようとも、単純なる監禁又は暴行傷害に該る場合を措いては罪となるべき事実の記載がないか、然らずんば犯罪構成要件に該当する具体的事実として特定したものとは到底理解し得ないもので、訴因の特定を欠き、刑訴法第三三八条第四号により公訴棄却の判決せられるべきもの。」というのである。

なるほど刑法第一九四条は、「職権を濫用し、人を逮捕又は監禁したるとき」と規定し、「職権濫用による暴行を犯し、よつて逮捕又は監禁するとき」と規定するものでないことは、同法第一九五条の規定と対比しても明らかである。しかしながら、同法第一九四条の趣旨とするところは、裁判、検察、警察の職務を行いまたはこれを補助する公務員は、一定の条件下に被疑者、被告人あるいはその他の者の身体を拘束する権限を有するところから、それら公務員の不法な権限の行使を抑制し、適正なる刑事司法作用を保護することにあるのであつて、したがって、それら公務員がその権限を不法に行使し、逮捕または監禁行為におよぶかぎり、それが詐術等無形力によると、暴行等有形力によるとその手段はとわないものと解すべきである。そして判示暴行が監禁の手段としてなされたと認められる本件においては、右暴行は特別公務員職権濫用罪に吸収され、別罪を構成するものではない。また以上の説示から明らかなように、「訴因の追加申立書」記載の公訴事実は、同法条の公訴事実として、訴因の特定を欠いているものとは到底認められない。

よつて、この点に関する弁護人の主張は理由がない。

2  本件被告人の行為は、職務を行うにあたりなしたものではないとの主張について。

判示認定のとおり、被告人と本館弘とが「やぐら荘」におもむいたのは、午後五時三〇分ころであり、被告人は宮城県巡査部長であるから、県警察職員の勤務時間に関する規程の適用を受けるところ、同規程第二条によると、県警察職員の勤務時間は、一週間について四四時間であつて、その割振りは、月曜日から金曜日まで午前八時三〇分より午後五時まで、土曜日午前八時三〇分より午後〇時三〇分までとされている。そして警察署処務規程第三二条は、「署長は公務のため必要があると認めるときは……職員に対し、勤務時間外に勤務させることができる。」旨規定し、さらに時間外勤務等命令簿及び時間外勤務手当等整理簿の取扱について(通知)(昭和三三年四月九日宮人委第七九号人事委員会事務局長)により、時間外勤務等の命令簿の記載要領が定められており、被告人および証人佐々木文夫の当公判廷における各供述によると、被告人は本件当日時間外勤務の命令を受けておらず、したがって右(通知)に基づく命令簿には時間外勤務の記載がされていないことが窺われる。

しかしながら、刑法第一九四条の規定する「職権を濫用し」とは、前記のとおり人の身体の自由を拘束する一般的権限を有する公務員が、その一般的権限に属する事項について、不法な権限の行使により人を逮捕または監禁する場合をいうのでありこれを本件についてみると、被告人は本件当時従事していた山口照子殺人事件の捜査に関して、本館弘から筆跡入手のため、同人とともに前記旅館におもむいたことは判示認定のとおり明らかで、さらに右筆跡入手後前示のように同人と共産党との関係の有無を尋ねた理由として、被告人は当公判廷において、「もし共産党に関係あるとすれば、以後の捜査をする上の協力ですね、これをいただく上には多少ひかえめにしなければならないとこういう感じ方はありました」旨、また「そういうことになれば、その事情も上司に報告して本館弘の接触関係は手心が必要だということも、話すことになるんじやないですか」との問に対し、「当然上司に報告して指示をうけることになつたと思います」旨、さらに「だから……そういう目的もあつてきいてるということになるのか」との問に、「はい、そういうことになります」旨各供述していること、仙台東警察署長作成の「捜査関係事項照会書回答」によれば、被告人は昭和四一年一〇月一五日付「本館勝四郎の筆跡入手について」と題して、仙台中央警察署長宛その領置状況を報告していること、被告人および証人阿部孝夫、同佐々木文夫の当公判廷における各供述、昭和四三年八月二六日付仙台中央警察署相沢只男作成の「捜査関係事項照会の回答について」「捜査費支出伺(謄本)」と題する各書面、および押収してある支払事由記載の台紙付宮城県〓EO五八二八二請求明細書、領収書原本(昭和四三年押第八二号の一五)を綜合すると、本件当日の旅館「やぐら荘」における代金合計金二、五四一円は、職務である捜査に要した費用として、捜査費から支払われている事実が認められるのであつて、これら事実よりすると、前記のごとく内部的に署長による勤務時間外勤務の命令がなく、したがってそれに基づく時間外勤務等の命令簿への記載がないとしても、客観的には判示行為は職務の遂行の過程において、その一般的権限を不法に行使した結果の行為であるとみるのが相当である。

したがって、この点に関する弁護人の主張も理由がない。

(法令の適用)

法律に照らすと被告人の判示所為は刑法第一九六条、第一九四条に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮六月に処し、なお諸般の情状を考慮して刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人に負担させることとする。

なお公訴の維持にあたる弁護士は、「訴因の追加申立書」の罪名、罰条として、特別公務員暴行陵虐、刑法第一九五条第一項をも掲げているところ、判示以外の暴行および傷害について証明がないこと前記判断のとおりであるが、右は特別公務員職権濫用罪と刑法第五四条第一項前段の観念的競合の関係にあるとして審判に付されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡しをない。

よつて、主文のとおり判決する。(佐々木次雄 原健三郎 板垣範之)

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